私は2022年に「発達障害(ASD)」と診断された人です。そして学習障害があることも分かりました。
いわゆる、障害を持ちながらも、発見されることなく、これまで見過ごされたまま大人になった人!ってことになります。
思えば、私は小学校3年生から授業についていけなくなりました。とくに「算数」が出来ませんでした。九九はものすごく努力して覚えられた時期もあったけど、いまだに自信がないし、努力しつづけないとすぐに忘れてしまいます。5以上の足し算も苦手です。特に0という数字が苦手です。
だけど大人になって発達障害が見つかってから、私が算数出来ないことは、発達障害の世界では当たり前なことなんだ?じゃあ、間違えても普通のことだから、恥ずかしいことじゃないんだ!と考えるようになり、大人になってから算数の勉強を始めました。
そして、計算は何度も間違えるし、文章問題では読み間違えるし、答えを書くところさえも間違えるけど、算数の問題を続けることで出来たときの喜びと、近くに教えてくれる人がいて、正解した時にその人が褒めてくれることで子供の頃に抱えていた【解けない自分=孤独】ではなく、【解けない自分=褒めてくれる人がいる=嬉しくて力が湧く】ということに成功している気がするので、記事にすることにしました。
大人の学習障害(LD)大人になっても算数が苦手。だけど問題を解くのが好き!その理由
少し私の子供時代のことを話すと、発達障害という概念は30年前にはあまり浸透していないこともあったし、親も発達障害だと思うので、教育にも関心がなく、私の出来なさ加減に気づくこともなく、ネグレスト家庭で育っていたこともあり、学校に行って、勉強をするという当たり前の環境がありませんでした。
そんな理由もひっくるめて、大人の発達障害、学習障害であることの発見がずいぶんと遅れてやってきました。
私が自分で計算が出来ないとはっきりと感じたことは、16歳の時にカフェでバイトしていた時に350円の品物に対して、1000円をお客さんから渡された時に暗算でおつりが分からず、困ったことでした。
だけど計算だけの場合は、電卓があるから問題なく過ごせました。
だけど、営業事務として働いた時に、納期の計算で、締切日、発送日などいろいろある中、さらにお客様の希望日、印刷する会社の休み、などが重なり、翌々営業日のその次の日とか、祝日が挟んだ場合の翌営業日とかとなると、日付の計算がとたんに難易度があがり、どうしても単純な計算ができず、くびになりました。
あと、よく大人が捨てセリフのように、いじめか?と思う言葉は、【なんであなたは普通のことが出来ないの?】や【なんでみんなと同じことが出来ないの?】でした。
自分でもなんでか分からないので、返答できず、自分から退職をしたりもしました。
でも、今は発達障害なので、解けないことは普通のこと。恥ずかしいことじゃないって考えられるようになり、前向きに楽しく算数ドリルしてます!
算数ドリルをしていくと、自分の苦手が分かりました。それは0です。
私は計算に0が入ると、計算ができなくなります
私の学習障害の特性は「0」が入ると、まったく解けなくなります。
毎回「0」が出てくると混乱します。体感的に状況を説明すると、時が止まったように静かな空間に自分がその箱の中に一人でいるような、まるで幽体離脱してるみたいになります。
例えば、具体的にいうとこんな感じの算数は解けません。
4-0=? 答えが5なのか0なのか分かりません。
4 × 0=? 答えが5なのか0なのか分かりません。
でも、今はなんとか🍎を書いて教えてもらったので、解けます。
~解き方は実体験と結びつける学習法を取っています~
テーブルの上に🍎🍎🍎🍎のりんごがあります。私は一つも食べませんでした。テーブルの上のリンゴはいくつ残ってる?答えは🍎🍎🍎🍎のままです。よって、4-0=4
という風に一旦想像しながら解いています。
ただ外でいきなり、4-0は?と聞かれたら、解けないと思います。
これが算数障害の特性なのです。
ただ、0が入っていない計算は出来たりするので、自分でも不思議だなぁ、面白いなぁって思ったりします。(もはや、出来ない自分を楽しめる余裕さえある私は強者✨)
~掛け算に0が入った場合~
4×0=0 は 九九を覚えているので、0と答えることが多いけど、4-0=?と混じることがあり、たぶん0といった感じに「たぶん」がはいりながら解答しています。
(※同じ算数障害でも個人差があるので1つの参考程度にしてください)
また大きな数字に0が入った時も、どう計算していいのか分からなくなります。
3058-408=も計算をミスします。
ちなみに3058-408=??は暗算できないので今、即興で紙に書いて答えを出してみました。

変わらずに5-0=のところで間違っています。そして2を書くことも忘れています。ちなみに正解は2,650です。
と、いうように数が一桁でも多くても計算に0が入ることで解答ができなくなるのは同じです。
~5以上の数字が苦手~
7+6=?や8+9=?も暗算できません。
でも九九をある程度覚えているので
7+7=14はギリギリ解けます
文章問題も文章を読んでいる傍から混乱するので時間がかかります
文章を読むときはかならず、文章の上にこんなかんじで線を引いて、英語の時みたいに区切って文を理解しています。そして20÷5も暗算できないのでかかないと解けません。頑張って解いて子犬体重「4」だと答えを出したのに、答え「20kg」と母親犬の体重を書いてしまい、ミスしています。
こういうことは算数問題だけではなく、日常でたくさんあります。けど、時間がかかっても算数に取り組んで頑張っている自分が誇らしくて、自分が好きです。


大人の算数障害も繰り返して解いていると、なんとなくミスが減るのを感じるのでトレーニングは必要だなぁって感じています。
大人の算数障害の私が勉強を好きだと思う理由
大人の算数障害を抱える私がどうして、勉強にはまっているのかを考えてみたんです。
おそらく勉強が好きな理由は、ASD特性の【研究心】が、いい方向で働いているからだと思います(*‘∀‘)📚
お勉強、楽しくないですか?興味を持ったことを解明していくの楽しくないですか?私は楽しいと感じるので、実際に英検も取ったし、短大も卒業したし、大学にも通信で今通っています。
つまり、できないことをできるように組み立てていく過程が楽しいんです。究極の自己満足とも言えます。こう思うのも、一般社会では落ちこぼれ扱いをうけて太刀打ちできないけど、自分が考えた目標なら手に入ることを知ってるからだと思います。私の世界の中では私は「出来る人」なんです。ふふふ( *´艸`)
そして先ほども少し触れましたが、頑張っている自分が好き!頑張りを褒めてくれる人がいる!このあたりも恵まれていると思います。
この記事を読んでどこかの誰かが同じように苦手をいい方法で克服できることを願っています。
最後に算数障害の1つでもある、アナログ時計、読めませんでした。
大人のディクレシア(学習障害)アナログ時計読めなかった
子供時代、アナログ時計が読めませんでした。
そして周りから笑われてトラウマになり、時計をみるのも嫌になりました。そして、どうして時計が読めないのか私自身も周りも分かりませんでした。
だけど、大人になってからは算数同様に好きになりました。
好きになった理由は、苦手をいつも上手にカバーする方法を探せるからだと思います。
私が不得意をカバーした方法は、文字盤があると計算がしやすいからアナログって便利!っていう気づきで下。
例えば、今、1時だとして4時間後は何時?と質問されたときに、1,2,3,4と数えると5時だよ!と自信をもって答えられるのが楽しいから、アナログ時計が好きになりました。

不得意をカバーする力は、工夫一つでいろいろできるので、みんなも工夫してみてくださいね。
あと同じ人がいたら、嬉しいな。
本日も、最後まで読んでくれてありがとうございました。